第1話|シャミる!が、世界にひびいた日 漫画版
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シャミる!第1話シャミる!が世界に響いた日 小説版
シャミる!第1話|小説版
漫画版では描ききれない心の動きや物語の背景を、小説版としてページごとに読むことができます。読みたいページを開いてご覧ください。
P1|20歳になった4人が国際的なステージで津軽三味線を構えている
ステージの明かりが、まぶしい。
世界中の人が集まる大きなホール。
客席には、日本を初めて訪れた人も、
津軽三味線の音を初めて聞く人もいた。
そのざわめきの中で、
わたし――つむぎは、津軽三味線をかまえて立っている。
手の中にある棹。
肩にかかる重み。
指先にふれる糸。
小学4年生のころは、
音楽の時間が苦手だった。
リコーダーも、歌も、ピアノも、
「ちゃんとできない音」がこわかった。
それなのに今、
わたしは日本の伝統楽器である津軽三味線を持って、
たくさんの人の前に立っている。
横には、はやり。
サクラ色の衣装を揺らして、いつものように笑っている。
反対側には、りゅうこう。
何も言わないけれど、その背中だけで
「大丈夫」と言ってくれている気がした。
少し後ろには、かける先輩。
青藍色の衣装で、まっすぐ前を見ている。
わたしたちは、
小さな学校の音楽室から始まった。
最初は、誰も上手じゃなかった。
楽器も足りなかった。
続けられるかどうかも、わからなかった。
それでも、音は止まらなかった。
津軽三味線の音は、
わたしたちをつなげてくれた。
そして今、
その音は、世界へ向かって鳴ろうとしている。
かける先輩が、一歩前に出た。
「――天神」
その合図で、
わたしたちは一斉に弦をはじいた。
ベンッ。
音が、ひとつになる。
その瞬間、
わたしの心に、あの日の言葉がよみがえった。
――シャミる!
これは、
音楽が苦手だった女の子が、
津軽三味線と出会い、仲間と出会い、
学校に三味線倶楽部をつくるまでの物語。
そして、
日本の伝統文化を、次の誰かへつないでいく物語です。
P2|世界の前に立つつむぎ
世界中の人が集まる、この大きなホールで。
わたしは、津軽三味線をかまえて立っている。
客席の奥まで、ざわざわした空気が広がっていた。
知らない言葉。
知らない国の人たち。
それでも、これから鳴る音を待っている空気だけは、
どこか同じに感じた。
手の中には、棹の感触。
肩に伝わる楽器の重み。
指先のすぐそばには、三本の糸。
小学4年生のころのわたしなら、
きっとこの空気だけで足がすくんでいた。
音楽の授業で、
まちがえるのがこわかった。
ちゃんとできないと思われるのが、もっとこわかった。
でも今は違う。
もちろん、緊張していないわけじゃない。
世界の前に立つなんて、簡単なことじゃない。
それでも――
不思議と、手は震えていなかった。
この津軽三味線の音は、
わたしをこわがらせる音じゃなかった。
むしろ、
心を前へ進ませてくれる音だった。
あの日、学校の放課後。
日本文化体験プログラムで、
初めて三味線の音を聞いた瞬間から。
わたしの中で、
何かが少しずつ変わり始めたのだ。
※このページでは、20歳になったつむぎが、国際的なステージで津軽三味線を構える未来の場面が描かれています。
かつて音楽が苦手だったつむぎが、なぜここまで来られたのか――その始まりは、小学4年生の春の放課後にありました。
P3|はやりの笑顔、りゅうこうの無言の構え、頼もしい背中
「つむぎ、いくよ」
横から聞こえた声に、
わたしはほんの少しだけ肩の力を抜いた。
はやりが、小さく笑っている。
サクラ色の衣装が、ステージの光を受けてきらっと光った。
はやりは、昔からそうだった。
空気が固くなりそうなとき、
いちばん最初にそれを軽くしてくれる。
明るくて、元氣で、
思ったことをすぐ口にする。
でも、その軽やかさに、何度助けられてきたかわからない。
反対側では、りゅうこうが黙って三味線を構えていた。
何も言わない。
本当に、ほとんど何も言わない。
けれど、
その背中は昔から、
言葉よりずっと多くのことを教えてくれる。
大丈夫。
ここまで来た。
ちゃんと音は鳴る。
そんなふうに、
りゅうこうの背中が言っている気がした。
明るく背中を押してくれる仲間。
静かに支えてくれる仲間。
あのころは、
まだ知らなかった。
このふたりと一緒に、
学校の音楽室から始まった音が、
いつか世界へ届く日が来るなんて。
でも今、
はやりの笑顔と、りゅうこうの背中があるだけで、
わたしは一人じゃないと思えた。
津軽三味線の音は、
ただ響くだけじゃない。
人と人をつないで、
気持ちをそろえて、
ひとつの音にしてくれる。
それを、
わたしたちはもう知っていた。
※このページでは、20歳になったはやりとりゅうこうの存在が描かれています。
明るく場を和らげるはやりと、無言で支えるりゅうこう。
性格の違う仲間たちがいたからこそ、つむぎはここまで来ることができました。
P4|かけるの合図、4人一斉演奏、音がひとつになる瞬間
少し後ろで、かける先輩が一歩、前に出た。
その動きだけで、
空気がすっと変わる。
青藍色の衣装。
きりっと結んだポニーテール。
昔から変わらない、
「ここは任せろ」と言っているみたいな背中。
かける先輩は、
いつも前に立って引っぱるタイプではない。
でも、本当に大事な瞬間だけは、
迷いなく一歩前に出る。
わたしたち4人の音を、
ちゃんとひとつにするために。
先輩の指が、天を向いた。
「――天神」
その一言で、
わたしたちの呼吸がそろう。
次の瞬間、
4人のバチが一斉に弦をはじいた。
ベンッ。
つむぎの音。
はやりの音。
りゅうこうの音。
かける先輩の音。
ひとつひとつは違うのに、
重なった瞬間、
不思議なくらい自然に、ひとつになる。
津軽三味線の音は、
ひとりで鳴らしても強い。
でも、
仲間と鳴らしたときには、
もっと大きな意味を持つ。
気持ちがそろう。
視線がそろう。
呼吸がそろう。
そして音が、
ひとつの流れになって前へ進んでいく。
その瞬間、
わたしの心に、
あの日の言葉がよみがえった。
――シャミる!
それは、
小学4年生だったわたしが、
初めて三味線の音に出会った日に生まれた言葉だった。
※このページでは、20歳になったかけるが合図を出し、4人の津軽三味線の音がひとつになる瞬間が描かれています。
「天神」という合図は、のちに小学生時代のかけるのキャラクター性とも重なっていく、物語の大切な決め台詞です。
P5|20歳つむぎの目元、シャミる!の余白、10歳つむぎへの回想
音が、ひとつになった。
ステージの光も、
客席のざわめきも、
仲間の気配も。
全部が、津軽三味線の音の中へ溶けていく。
その瞬間、
わたしの心に、ひとつの言葉が浮かんだ。
――シャミる!
誰かに教わった言葉じゃない。
辞書にのっている言葉でもない。
でも、あの日のわたしには、
それ以外の言葉が見つからなかった。
三味線に出会った。
音に出会った。
こわくない音に、初めて出会った。
音楽が苦手だったわたしが、
それでも「もっと知りたい」と思えた、
最初の言葉。
シャミる。
それは、
小学4年生だったわたしの心から、
ぽんと飛び出した小さな合図だった。
世界中の人の前で演奏している今でも、
その言葉だけは、はっきり覚えている。
あの日。
春の学校。
放課後の音楽室。
外部から来た三味線の先生が、
初めて津軽三味線の音を鳴らした日。
まだ仲間もいなかった。
三味線倶楽部もなかった。
自分が何を好きなのかも、よくわかっていなかった。
でも、たしかに。
その日、
わたしの中で何かが始まった。
これは、
その日の記憶。
小学4年生のわたしが、
初めて「シャミる!」と言った日の話。
※このページでは、20歳のつむぎが国際ステージで津軽三味線を演奏した瞬間に、
小学4年生の春を思い出します。
「シャミる!」という言葉は、三味線に出会ったつむぎの心から自然に生まれた、この物語のはじまりの合図です。
P6|春の小学校、登校する10歳つむぎ
小学4年生の春。
桜の花びらが、
校門の前でふわりと舞っていた。
大きなステージも、
まぶしいスポットライトも、
世界中の観客も、
このころのわたしには、まだ遠すぎる未来だった。
わたし――つむぎは、
ランドセルを背負って、
いつものように学校へ向かっていた。
友だち同士で楽しそうに話しながら歩く子。
昨日見た動画の話で盛り上がる子。
流行りの曲を小さく口ずさむ子。
みんなの声は、明るかった。
でも、わたしは少しだけ、
その輪の外側を歩いている気がしていた。
ひとりぼっち、というほどではない。
誰かに嫌われているわけでもない。
ただ、
みんなが自然に楽しそうにしていることに、
うまく入っていけない日があった。
音楽も、そうだった。
きらいなわけじゃない。
でも、得意でもない。
リコーダーも、歌も、鍵盤も。
「ちゃんとできないかもしれない」と思うだけで、
胸の奥が少しきゅっとなる。
この日も、
わたしはいつもと同じように校舎を見上げた。
今日、何かが変わるなんて、
まだ知らなかった。
この学校の音楽室で、
わたしが初めて津軽三味線の音に出会うことも。
その音が、
わたしの足を少しだけ前へ進ませてくれることも。
そして、
いつかこの学校に三味線倶楽部をつくるきっかけになることも。
この朝のわたしは、
まだ何も知らなかった。
※このページから、小学4年生のつむぎの回想が始まります。
未来の国際ステージとは対照的に、舞台はごく普通の小学校。
音楽が苦手だったつむぎが、津軽三味線と出会う前の“何気ない日常”を描いています。
P7|掲示板のポスターを見るつむぎ、学校先生が声をかける
放課後の廊下は、
朝とは少し違うにおいがする。
授業が終わったあとの、
ざわざわした声。
上ばきの音。
窓から入ってくる、春の光。
わたしはランドセルを背負ったまま、
廊下の掲示板の前で足を止めた。
たくさんの紙が貼られている中に、
一枚だけ、少し雰囲気の違うポスターがあった。
放課後日本文化体験プログラム
津軽三味線を弾いてみよう
つがる、しゃみせん。
心の中で、
ゆっくりその言葉を読んだ。
聞いたことがあるような。
ないような。
ギターとは違う。
ピアノとも違う。
リコーダーでも、歌でもない。
でも、
なぜかその言葉だけが、
掲示板の中で少し光って見えた。
「気になる?」
後ろから声がして、
わたしは少しだけ肩をすくめた。
振り向くと、
学校の先生が立っていた。
三味線を教える先生ではなく、
放課後の体験教室を見守ってくれる先生。
先生は、急かすでもなく、
ただやさしく笑っていた。
「今日はね、外部の三味線の先生が来てくださるの」
「見ているだけでも、大丈夫よ」
見ているだけでも。
その言葉で、
胸の奥のきゅっとした感じが、
ほんの少しだけゆるんだ。
音楽は苦手。
人前で音を出すのは、こわい。
でも、
見ているだけなら。
わたしは、廊下の奥を見た。
音楽室のドアが、
少しだけ開いている。
そこから、まだ知らない音が、
これから聞こえてくるような気がした。
※このページでは、つむぎが学校の掲示板で「放課後日本文化体験プログラム/津軽三味線を弾いてみよう」の案内を見つけます。
この体験は通常の授業ではなく、外部講師による日本文化体験教室。
学校の先生は、つむぎが無理なく参加できるようにそっと背中を押す役割です。
P8|音楽室の前で立ち止まるつむぎ、リコーダー・歌・鍵盤の回想
音楽室の前まで来た。
ドアは、少しだけ開いている。
さっき先生は、
「見ているだけでも大丈夫」と言ってくれた。
それなのに、
わたしの足は、ドアの前で止まってしまった。
あと少し。
ほんの少し進めば、中をのぞける。
でも、
足が動かない。
頭の中に、
これまでの音楽の時間が、
小さくよみがえった。
リコーダーは、息が続かない。
みんながすらすら吹いている横で、
わたしだけ音が途中で途切れる。
歌は、声が小さい。
ちゃんと歌っているつもりなのに、
自分の声だけ、どこかへ隠れてしまう。
鍵盤は、どこを押せばいいかわからない。
指を置こうとして、
間違えたらどうしようと思った瞬間、
手が止まってしまう。
音楽がきらいなわけじゃない。
音がきらいなわけでもない。
ただ、
「ちゃんとできないかもしれない」と思うだけで、
胸の奥が少しきゅっとなる。
わたしは、ランドセルの肩ひもをぎゅっと握った。
行きたい。
でも、こわい。
見てみたい。
でも、もしまたできなかったら。
そんな気持ちが、
胸の中で小さくぶつかっていた。
音楽室のドアは、
まだ少しだけ開いている。
その向こうに、
まだ知らない音があることを、
この時のわたしは、まだ知らなかった。
※このページでは、つむぎが音楽室の前まで来たものの、音楽への苦手意識から足が止まってしまう場面を描いています。
リコーダー、歌、鍵盤への苦手意識は、音楽そのものが嫌いなのではなく、「ちゃんとできないかもしれない」という不安から生まれています。
P9|音楽室から響く三味線の音に、つむぎが初めて心を奪われる
音楽室の前で、
わたしはまだ立ち止まっていた。
先生は、
「あなたも良かったら体験してみない?」
と言ってくれた。
やさしい声だった。
でも、
「体験」という言葉を聞いた瞬間、
胸の奥がまた少しきゅっとなった。
やってみて、できなかったらどうしよう。
みんなの前で、
変な音を出してしまったらどうしよう。
そんな気持ちが、
足の先から動かない理由になっていた。
そのときだった。
音楽室の中から、
聞いたことのない音がした。
ベンッ。
リコーダーの音じゃない。
歌の声でもない。
鍵盤の音でもない。
もっと、まっすぐで。
もっと、体の奥に届くような音。
わたしは、思わず顔を上げた。
音楽室のドアは、
少しだけ開いている。
その隙間から、
あたたかい光と一緒に、
音が廊下へ流れてきた気がした。
中では、黒いTシャツを着た三味線の先生が、
津軽三味線をかまえていた。
短い黒髪。
にこっと笑う顔。
少し大きな体。
でも、音はとても細くて、強くて、きれいだった。
先生の手が、
もう一度、弦へ向かう。
ベンッ。
その音を聞いた瞬間、
胸の奥のきゅっとした場所が、
少しだけ違う形に変わった。
こわい、じゃない。
なんだろう。
気になる。
音楽室の中には、
三味線を持った子ども達がいた。
びっくりしている子。
楽しそうに笑っている子。
先生の手元をじっと見ている子。
わたしは、まだ中には入れなかった。
でも、
ドアの外から、
そっと音楽室の中をのぞいた。
そこにある音が、
どうしても気になった。
どうしてか、
目が離せなかった。
この時のわたしは、
まだ知らなかった。
この一音が、
わたしの毎日を少しずつ変えていくことを。
そしていつか、
この学校に三味線倶楽部を作るきっかけになることを。
※このページでは、つむぎが初めて津軽三味線の音に心を動かされます。
まだ体験する勇気はありません。
けれど、リコーダーや歌や鍵盤とは違う「ベンッ」という一音が、つむぎの中にある不安を少しだけ好奇心へ変えていきます。
P10|音楽室へ入る一歩
音楽室の前まで来たのに、
わたしの足は、そこで止まった。
春の光が差しこむ廊下は、
さっきまで歩いていたはずなのに、
急に知らない場所みたいに静かだった。
少しだけ開いた音楽室の扉。
その向こうから、また音がした。
――ベン。
ドン、でもない。
キーン、でもない。
でも、その音はまっすぐに、
わたしの胸の奥に落ちてきた。
思わず、顔を上げる。
なんだろう。
なんだか、すごく引き付けられる。
こわい。
入ったら、何かしなくちゃいけないのかもしれない。
うまくできなかったら、恥ずかしいかもしれない。
それなのに。
わたしは少しだけ、
音のするほうへ近づいていた。
もっと、聞いていたい。
そう思った。
音楽室の中では、
外部の先生が三味線を弾いていた。
黒いTシャツ。
まっすぐな姿勢。
先生の手の中で、三味線は難しい楽器というより、
生きものみたいに見えた。
――ベンッ。
右手が動く。
左手が動く。
たったそれだけなのに、
音が教室の空気ごと変えてしまう。
椅子に座った子どもたちが、
目を輝かせながらその音を見ていた。
うまく弾けている子も、まだぎこちない子もいる。
でも、みんな同じ顔をしていた。
楽しい、という顔だ。
わたしは入口のところで、
じっとその様子を見つめていた。
こんな音、初めて聞いた。
大きいわけじゃない。
派手なわけでもない。
なのに、どうしてこんなに胸に残るんだろう。
音が、生きてるみたいだった。
音楽室の中に、
入るだけなのに。
それだけなのに、
胸がどきどきした。
ドアの向こうからは、
さっきの音の余韻が、まだふわりと残っている気がした。
ベンッ。
その一音を思い出すだけで、
胸の奥が少しだけ熱くなる。
でも、
足はすぐには動かなかった。
やってみて、できなかったらどうしよう。
変な音が出たら、どうしよう。
みんなに見られたら、どうしよう。
頭の中に、
いくつもの「どうしよう」が浮かんでは消えていく。
そのとき、
音楽室の中から丹仁野先生が振り返った。
先生は、いつもの教室で見るときと同じように、
やわらかく笑っていた。
「大丈夫。
まずは、見ているだけでいいから」
見ているだけ。
その言葉で、
わたしは少しだけ息を吐いた。
ランドセルの肩ひもを、
ぎゅっと握る。
手のひらは、少し汗ばんでいた。
こわい。
でも、
さっきの音を、
もう少しだけ聞いていたかった。
わたしは、
ほんの少しだけ足を前に出した。
廊下の床から、
音楽室の床へ。
たった一歩。
でも、
その一歩は、
朝、校門をくぐったときよりも、
ずっと大きく感じた。
音楽室の中は、
思っていたよりも、あたたかかった。
窓から入る春の光。
椅子に座った子どもたち。
壁に並ぶ三味線。
譜面台。
黒板。
そして、黒いTシャツを着た三味線の先生。
先生は三味線を抱えたまま、
わたしの方を見て、にこっと笑った。
「こんにちは。
よく来たね」
その声は、
思っていたよりもずっとやさしかった。
わたしは、
小さく頭を下げた。
まだ、何もできない。
まだ、何も弾けない。
でも、
音楽室の中に入っただけで、
さっきまで遠くにあった音が、
少しだけ近くなった気がした。
このページでは、つむぎが初めて音楽室の中へ入ります。
三味線を弾く前の小さな一歩ですが、音楽が苦手だったつむぎにとっては、とても大きな一歩です。
「見ているだけでいい」という安心感が、つむぎの背中をそっと押します。
P11|津軽三味線を近くで見る
音楽室の中は、
思っていたより、あたたかかった。
廊下から見ていたときは、
少し遠い場所みたいに感じていたのに、
中へ入ると、春の光が床に広がっていて、
空気までやわらかく見えた。
椅子に座った子どもたちは、
みんな静かに先生の方を見ている。
緊張している子もいる。
少し笑っている子もいる。
三味線を抱えて、どう持てばいいのかわからない顔をしている子もいる。
でも、
だれも笑われていなかった。
できないことが、
ここでは悪いことじゃないみたいだった。
わたしは、入口の近くで立ったまま、
壁際に並んでいる楽器を見た。
それが、三味線だった。
長い棹。
白い胴。
上の方にある、三本の糸巻き。
細い糸。
小さな駒。
そして、先生の手にある大きなバチ。
今まで見た楽器とは、
ぜんぜん形が違っていた。
ギターみたいにも見えない。
リコーダーとも違う。
鍵盤のように、どこを押せばいいかが並んでいるわけでもない。
なのに。
さっき聞いた音は、
この楽器から出ていた。
黒いTシャツを着た三味線の先生が、
わたしに気づいて、にこっと笑った。
「これは津軽三味線。
太くて、力強い音が出るんだ」
先生は、三味線を少しだけこちらに向けて見せてくれた。
「こわくないよ。
まずは、見て、聞いて、
近くで感じてみよう」
こわくない。
その言葉を聞いて、
わたしは小さくうなずいた。
まだ、触る勇気はなかった。
まだ、弾いてみたいと言う勇気もなかった。
でも、
目をそらすことはできなかった。
この音は、
この楽器から生まれていたんだ。
そう思ったら、
少しだけ、近づいてみたくなった。
このページでは、つむぎが初めて津軽三味線を近くで見ます。
まだ弾く前の段階ですが、楽器の形、音の仕組み、教室のあたたかさに触れることで、つむぎの不安は少しずつ好奇心へ変わっていきます。
P12|三味線に触れる
「触ってみる?」
三味線の先生が、
わたしの前に三味線をそっと置いた。
さっきまで遠くに見えていた楽器が、
急に近くにある。
長い棹。
白い胴。
細い糸。
三本の糸巻き。
近くで見ると、
思っていたより大きかった。
「持つだけでも、大丈夫だよ」
先生の声は、
とてもやさしかった。
それなのに、
わたしの手はすぐには動かなかった。
触ってみたい。
でも、こわい。
変な持ち方をしたら、どうしよう。
落としたら、どうしよう。
みんなに見られて、失敗したらどうしよう。
また、胸の奥がきゅっとなる。
リコーダーの時みたいに。
歌の時みたいに。
鍵盤の前で固まった時みたいに。
わたしは、
三味線を見つめたまま、
指先を少しだけ動かした。
でも、まだ触れない。
その時、先生が少しだけ姿勢を低くした。
わたしの目の高さに合わせて、
三味線を大切そうに支えてくれた。
「うまく持とうとしなくていいよ」
先生は言った。
「まずは、音のそばにいるだけでいい」
音のそば。
その言葉が、
なんだか不思議だった。
弾く、とか。
上手にする、とか。
ちゃんとできる、とか。
そういう言葉じゃなかった。
音のそばにいるだけでいい。
わたしは、
ゆっくり手を伸ばした。
指先が、三味線に近づく。
あと少し。
あと少し。
そして、
そっと触れた。
冷たくなくて、
少しだけ、あたたかい気がした。
まだ音は出していない。
まだ、何もできていない。
でも、
わたしはもう、
少しだけ近づいていた。
このページでは、つむぎが初めて津軽三味線に触れます。
まだ音は鳴らしません。
「うまく弾く」前に、まず楽器のそばにいること、触れてみること。
その小さな一歩が、次のページの「初めての一音」へつながっていきます。
P13|バチを受け取り、初めて音を出す
講師は、つむぎの前で三味線をそっと構え直した。
黒く長い棹。白く張られた胴。
さっき指先で触れたばかりのその楽器が、今度はまた少し違って見える。
「じゃあ、こんどは――」
やわらかい声と一緒に、三角のバチが差し出された。
「このバチで、弦にふれてみようか」
つむぎは思わず息をのんだ。
さっきは、ただ触れただけだった。
でも今度は違う。
自分で音を出すかもしれないと思った瞬間、胸の奥がきゅっと縮こまる。
そっと手を伸ばす。
けれど指先は、途中で少しだけ止まった。
触ってみたい。
でも、こわい。
変な持ち方をしたらどうしよう。
変な音が出たらどうしよう。
音楽の時間に感じてきた、あの小さな苦手意識が、ふっと胸の奥から顔を出す。
リコーダーも、歌も、鍵盤も。
「ちゃんとできるかな」と思っただけで、うまく息ができなくなることがあった。
そんなつむぎの表情を見て、講師は少しだけ腰を落とした。
つむぎと同じ目の高さに来るようにして、やさしく言う。
「うまくやろうとしなくていいよ」
その声は、不思議なくらい静かで、あたたかかった。
できるかどうかを試されているような感じがしない。
ただ、ここにいてもいい、と言われたような気がした。
つむぎは小さく息を吸って、バチを持つ。
こわい。
でも、逃げたくはなかった。
三味線の弦へ、そっと右手を近づける。
教室の中はしんとしていて、窓の外の桜が光の中で揺れていた。
丹仁野先生も、少し後ろから見守ってくれている。
ほんの少しだけ、手を動かす。
――ポン……
小さな音だった。
大きくもない。
派手でもない。
けれど、確かにその音は、つむぎの手から生まれた。
「……あ」
思わず、声にならない声がこぼれる。
講師が、すぐに笑ってうなずいた。
「そう、それでいい」
たったそれだけのことなのに、つむぎの胸は不思議なくらい熱くなった。
わたしが、鳴らした。
たったひとつの音。
なのに、その一音は、胸の奥までまっすぐ届いた。
さっきまで、遠くから見ていた楽器が、もう少しだけ近くなる。
こわさはまだ消えていない。
でもその隣に、はじめて「もっと知りたい」という気持ちが、そっと並びはじめていた。
P14|初めて鳴らした音の余韻
音は、すぐに消えた。
ポン……という、
小さな音。
大きくもない。
きれいに響いたかどうかも、
自分ではよくわからない。
でも。
胸の中には、
まだ残っていた。
つむぎは、バチを握った手を見た。
さっきまで、
こわばっていた手。
どうしよう、どうしようと、
何度も迷っていた手。
その手から、
音が出た。
「今のが、つむぎさんの音だよ」
三味線の先生が、
静かにうなずいた。
「上手いかどうかより、
まず鳴ったことが大事なんだ」
つむぎは、先生の顔を見上げた。
上手いかどうか。
音楽の時間には、
いつもそこが気になっていた。
ちゃんと吹けるか。
ちゃんと歌えるか。
ちゃんと弾けるか。
でも先生は、
そこから始めなくていいと言ってくれた。
鳴ったことが、大事。
その言葉は、
さっきの音みたいに、
つむぎの胸の奥へまっすぐ落ちてきた。
少し後ろで、丹仁野先生が微笑んでいた。
「よかったね、つむぎさん」
近くに座っていた子が、
小さな声で言った。
「最初、ちょっとこわいよね」
別の子も、うなずいた。
「でも、鳴るとうれしいよ」
だれも笑っていなかった。
変な音だね、なんて言う子もいなかった。
つむぎは、もう一度、三味線を見た。
長い棹。
白い胴。
細い糸。
小さな駒。
手の中のバチ。
さっきまでは、
知らない楽器だった。
でも今は、
ほんの少しだけ、
近くなった気がした。
うまくは、なかった。
たぶん、全然うまくなかった。
でも。
もう一回、
鳴らしてみたいと思った。
それは、つむぎにとって、
とても不思議な気持ちだった。
音楽の時間に、
そんなふうに思ったことは、
あまりなかったから。
このページでは、つむぎが初めて鳴らした音の余韻を描きます。
上手に弾けたわけではありません。
けれど「自分の手から音が出た」という実感が、つむぎの中に小さな変化を生みます。
この“もう一回やってみたい”という気持ちが、後の三味線倶楽部へつながっていきます。
P15|なくなってほしくない音
たった一音だった。
それでも、つむぎには、その一音が音楽室の空気を少しだけ変えたように思えた。
いままで自分の手ではうまくつかめなかった音が、ちゃんと鳴った。
大きすぎず、でもたしかに胸に届く音だった。
「……鳴った」
思わず心の中でそうつぶやくと、つむぎは目の前の三味線を見つめた。白い胴に春の光がやわらかく落ちている。さっきまでただ“知らない楽器”だったはずなのに、もう少し近くにいるもののように感じた。
すると講師の先生が、やさしい声で言った。
「三味線ってね、ずっと昔から受けつがれてきた、日本の楽器なんだ」
つむぎは顔を上げた。
先生は三味線を持ちながら、教えるというより、どこか大切な思い出の話をするみたいに続けた。
「でも今は、弾く人も、知る人も、少しずつ少なくなってきてる」
つむぎの胸に、ふいに小さな石が落ちたような気がした。
「すくなく……なってるの?」
思わず口に出た声は、自分でも驚くくらい小さかった。
先生はうなずいた。
「うん。だから、こうして出会えることが、すごく大事なんだよ」
その言葉を聞いたとき、つむぎはもう一度、三味線を見た。
さっき鳴ったばかりの音。
まだ、ちゃんと弾けるわけじゃない。
好きだなんて言えるほど、知っているわけでもない。
それでも――。
なくなるかもしれない、と聞いたとたん、胸の奥がきゅっとした。
どうしてそんなふうに思ったのか、自分でもまだ分からなかった。
でも、ひとつだけは、はっきりしていた。
こんな音。
こんな、まっすぐで、生きているみたいな音。
なくなってほしくない。
その気持ちは、まだ言葉になる前の、小さな芽だった。
けれど確かに、つむぎの心の中に生まれていた。
このページでは、つむぎが「もう一回やってみたい」と感じる小さな変化を描きます。
上手に弾けたわけではありません。
けれど、三味線の音が心に残り、さらに「今の子どもたちが三味線に触れる機会は少なくなっている」という現実を知ることで、つむぎの中に次の芽が生まれ始めます。
P16|どうしたら、なくならないの?
つむぎは、膝の上の三味線を見つめていた。
白い胴。
三本の糸。
細く長い棹。
さっき、自分の手で鳴らした音。
まだ耳の奥に、その音が残っている気がした。
でも、その音はさっきまでと少し違って聞こえていた。
ただの「鳴った音」ではなくなっていた。
この音が、少なくなっている。
そう思った瞬間、つむぎの胸の奥が、きゅっと小さく痛んだ。
「楽器ってね」
講師の先生が、三味線を見ながら静かに言った。
「弾く人だけで残るものじゃないんだ」
つむぎは顔を上げた。
先生の声は、こわくなかった。
おどかすような言い方でもなかった。
けれど、その言葉は、春の光よりもまっすぐにつむぎの中へ入ってきた。
「作る人がいて、直す人がいて、教える人がいて、聞いてくれる人がいて――」
先生は、三味線の胴にそっと手を添えた。
「そうやって、音は残ってきたんだよ」
つむぎの目の前で、音楽室の景色が少しだけ変わったように見えた。
窓から入る光の中に、お祭りのにぎわいが見えた気がした。
町のどこかで聞こえる音。
舞台の上で響く音。
誰かが練習して、誰かが教えて、誰かが聞いてきた音。
この三味線の音は、急にここに現れたものではなかった。
ずっと前から、誰かの手から誰かの手へ、受けつがれてきた音だった。
つむぎは、三味線を少しだけ強く抱えた。
自分は、まだ何も知らない。
ちゃんと弾けるわけでもない。
さっき、たった一音を鳴らしただけ。
でも、三味線がなくなってしまうことを想像すると、胸がざわざわした。
忘れたくない。
消えてほしくない。
もっと知りたい。
気がつくと、つむぎは先生を見上げていた。
「じゃあ……」
声は小さかった。
でも、さっきまでのつむぎとは少し違う声だった。
「どうしたら、なくならないの?」
音楽室が、一瞬だけ静かになった。
丹仁野先生が、少し驚いたように、でもうれしそうに目を細めた。
講師の先生は、つむぎの顔を見て、ゆっくりとうなずいた。
つむぎの胸の中で、小さな火が灯っていた。
知りたい。
この音のことを、もっと。
P17|わたしの一音も、つながっていく
「……いい質問だね」
講師の先生は、つむぎの顔を見て、やさしく笑った。
その笑い方は、子どもの質問を軽く流すようなものではなかった。
ちゃんと受け止めてくれた、というのが、つむぎにも分かった。
つむぎは三味線を抱えるように持ったまま、次の言葉を待った。
「まずはね、知ること」
先生は静かに言った。
「それから、好きになること。『鳴らしてみたい』って思う人が、ひとりずつ増えることなんだ」
つむぎは、少しだけ目を見開いた。
もっと特別で、もっと大きなことを言われるのかと思っていた。
すごい人になるとか、上手にならないといけないとか。
でも先生が言ったのは、ずっと近くにある言葉だった。
知ること。
好きになること。
やってみたいと思うこと。
それで、いいの?
先生は、つむぎの表情を見て、続けた。
「すごく上手じゃなくてもいい。今日みたいに、はじめて触る子の『おもしろい』も、ちゃんと未来につながるんだよ」
つむぎの胸が、どくんと鳴った。
「……わたしのも?」
思わず出た言葉に、先生はまっすぐうなずいた。
「うん。きみがさっき鳴らした一音も、もう“つながり”のひとつだよ」
一音。
たった一音。
うまく弾けたわけでもない。
ただ、鳴っただけの音。
でもその音を、先生は“つながり”と言った。
つむぎは、三味線の白い胴を見つめた。
光がふわりと反射して、自分の顔が少しだけ映っていた。
わたしの音も、つながりになるんだ。
その思いが、胸の中であたたかく広がった。
体験の時間が終わって、つむぎは音楽室の外に出た。
南側の廊下には、午後のやわらかな光がのびていた。
入口の上には「音楽室」のプレート。
その横の掲示板も、その先の階段も、さっきまでと同じ場所にあるのに、世界が少しだけ変わったように感じた。
つむぎは、歩きかけて、また足を止めた。
耳の奥に、まだあの音が残っている。
胸の奥には、もっと知りたい気持ちが残っている。
帰ったら――。
調べてみよう。
この音のこと。
もっと。
そして、ふいに思った。
もう一回、鳴らしたい。
その気持ちは、さっきまでの不安とはちがっていた。
音がこわい、ではなく。
間違えたらどうしよう、でもなく。
知りたい。
近づきたい。
もう一度、あの音に触れたい。
つむぎは小さく息を吸って、家へ帰る廊下を歩き出した。
次に何をするか、もう心は決まりかけていた。
P18|あの音には、名前がある
家に着いても、つむぎの胸はまだ熱かった。
音楽室を飛び出したときの勢いが、そのまま体の中に残っている。
靴を脱ぐのももどかしくて、つむぎは急いで自分の部屋へ向かった。
知りたい。
今すぐ。
あの音のことを。
通学バッグを置くと、つむぎは机の前に座り、すぐにタブレットを開いた。
いつもの勉強の時間とは、ぜんぜん違う。
誰かに言われたからじゃない。
やらなきゃいけないからでもない。
自分から、知りたかった。
「帰ったら調べるって、決めたもん」
小さくつぶやいて、つむぎは検索を始めた。
三味線。
その言葉を打ち込んだだけで、画面の中にたくさんの世界がひらいた。
演奏している人。
古い写真。
いろんな形の三味線。
歴史の話。
地域の話。
音楽の話。
「三味線って……こんなに、いろんな世界があるんだ」
つむぎは目を丸くした。
音楽室で出会ったあの一音は、ぽつんとひとつだけ存在していたんじゃない。
ずっと長い時間の中で受けつがれてきた、大きな世界の一部だった。
指を動かしながら見ていくうちに、つむぎは、ある言葉のところでぴたりと止まった。
津軽三味線。
「……つがる、しゃみせん」
声に出して読むと、その言葉は不思議なくらい胸に残った。
画面の向こうにあるその名前と、今日、音楽室で聞いたあの音が、つながる。
これが――
今日、わたしが出会った音の名前。
つむぎは画面を見つめたまま、しばらく動けなかった。
名前がある。
歴史がある。
弾く人がいる。
受けついできた人たちがいる。
ただ「かっこいい音」だったものが、急にもっと大きなものになった。
気がつくと、つむぎはノートを開いていた。
気になった言葉を書いて、また調べて、また書く。
いつのまにか部屋の光は夕方から夜へ変わり、机の明かりだけが手元を照らしていた。
それでも、やめたくなかった。
もっと知りたい。
あの音のこと。
三味線のこと。
まだ、ぜんぜん足りない。
胸の奥に生まれた気持ちは、調べれば調べるほど小さくなるどころか、どんどん大きくなっていった。
そして、ふと思う。
明日、はやりにも話したい。
今日、わたしが出会った音のことを。
この「津軽三味線」っていう名前のことを。
つむぎはもう一度、画面の文字を見た。
津軽三味線。
その言葉は、まるで新しい扉の名前みたいに見えた。
P19|シャミる!
次の日の朝。
つむぎの胸の中には、まだ昨日の音が残っていた。
夜、何度もノートを見返した。
画面で見つけた「津軽三味線」という文字も、三本の糸のことも、太い音のことも、眠る前まで頭から離れなかった。
朝になれば少し落ち着くと思っていた。
でも、違った。
朝になっても、まだ消えていない。
昨日の音が、胸の奥で鳴っている。
つむぎは赤いランドセルを背負い、昨日書いたノートを胸に抱えて、4年3組の教室へ向かった。
「つむぎ、おはよー!」
教室に入ると、はやりがいつもの明るい声で手を振った。
桃色の小物が揺れて、ツインテールがぴょんと跳ねる。
「……あれ?」
はやりは、つむぎの顔を見て首をかしげた。
「なんか今日、目がキラキラしてる!」
つむぎはノートを抱える手に、少し力を入れた。
「は、はやり……聞いてほしいことがあるの」
「なになに?」
はやりはすぐに机へ身を乗り出した。
その反応の早さに、つむぎは少しだけ安心した。
つむぎはノートを開いた。
昨夜書いた文字が、ページいっぱいに並んでいる。
三味線。
三本の糸。
津軽三味線。
大きくて強い音。
弾く人が少なくなっている。
「昨日、音楽室で聞いた音……津軽三味線っていうんだって」
「つがる、しゃみせん?」
「うん」
つむぎは、ノートの端に描いた小さな三味線の絵を指さした。
「三本の糸で、すごく強い音がして……でも、弾く人も少なくなってるって」
はやりは、いつものようにすぐ茶化したりしなかった。
つむぎの顔を見て、ノートを見て、もう一度つむぎを見た。
つむぎは言葉を探した。
「なんかね……知りたいの」
胸の奥にある気持ちを、ひとつずつ拾う。
「また鳴らしたいの。この音のこと、もっと」
言えば言うほど、昨日の音が近くなる気がした。
「うまく言えないけど……胸の中が、ずっと鳴ってるみたいで」
はやりの目が、ぱっと明るくなった。
「それって……」
つむぎは少し身を固くした。
変だと思われるかもしれない。
急にこんなことを言って、びっくりされるかもしれない。
でも、はやりは違った。
「つまり、つむぎは……シャミりたいんだ!」
「シャミ……る?」
つむぎは目をぱちぱちさせた。
「そう!」
はやりは、得意げに胸を張った。
「三味線を知りたい、鳴らしたい、近づきたい! そういうの、ぜんぶまとめて――」
はやりは両手をぱっと広げた。
「シャミる!」
その言葉を聞いた瞬間、つむぎの胸の中で、何かがぴたりと重なった。
知りたい。
鳴らしたい。
近づきたい。
なくなってほしくない。
ばらばらだった気持ちが、ひとつの言葉になった。
シャミる。
少し変で、少し楽しくて、でも不思議なくらい、今の自分に合っている。
「シャミる……」
つむぎは小さく繰り返した。
その言葉が、胸の中の音に、ぴったり重なった。
はやりはにっと笑った。
「いいじゃん! なんか楽しそう!」
つむぎは、昨日からずっと胸に残っていた熱が、少しだけ外へ出ていくのを感じた。
ひとりで抱えていた音が、はやりにも届いた気がした。
もう、昨日のつむぎとは少し違う。
この音を知りたい。
もう一回、鳴らしたい。
そして――。
シャミりたい。
P20|ひとりの音が、ふたりになった
「シャミる……」
つむぎは小さく、その言葉をくり返した。
少し変わっていて、少し楽しくて。
でも不思議なくらい、自分の胸の中にぴったりだった。
知りたい。
鳴らしたい。
近づきたい。
なくなってほしくない。
昨日から自分の中でばらばらに鳴っていた気持ちが、そのひとことにきゅっと集まる。
シャミる。
その言葉を心の中でもう一度なぞったとき、つむぎの表情がふわっとほどけた。
「いいじゃん、それ!」
はやりが、ぱっと身を乗り出した。
「じゃあ、わたしもシャミる!」
「は、はやりも?」
つむぎは目を丸くした。
はやりは、そんなつむぎの顔を見て、にっと笑う。
「もちろん!」
ツインテールがぴょこんと揺れた。
「つむぎがそんなにキラキラして話すんだもん。わたしも気になるよ!」
その言葉を聞いた瞬間、つむぎの胸の奥がじんわりあたたかくなった。
昨日まで、この音のことを思っているのは自分だけだった。
あの三味線の音も、あの衝動も、胸の中でひとりで鳴っていた。
でも今、その音が、はやりにも届いている。
つむぎはノートを見下ろした。
昨夜、自分で書いた「津軽三味線」の文字。
小さな三味線の絵。
少し曲がった文字も、急いで書いたメモも、昨日の熱そのままだった。
はやりはノートに顔を近づけると、すぐに次のことを言った。
「じゃあさ、また音楽室いってみようよ!」
つむぎは顔を上げた。
「え……?」
「だって、もっと知りたいんでしょ?」
はやりは当たり前みたいに言った。
「丹仁野先生にも、もっと聞いてみよう! あの先生なら、また教えてくれるかもしれないし!」
その言葉に、つむぎの目が少し大きくなる。
昨日、家に帰ってからは「知りたい」でいっぱいだった。
でも今、その気持ちがはじめて“次に何をするか”の形になった。
「うん……!」
つむぎは力強くうなずいた。
「もう一回、あの音に会いたい」
はやりは満足そうに笑って、机の上に手を出した。
「よーし。じゃあ放課後――」
つむぎも、自然にその手の上へ自分の手を重ねた。
「シャミろう!」
ふたりの声が、朝の教室の光の中で重なった。
その瞬間、つむぎははっきりと感じた。
昨日まで、ひとりだった。
音楽が苦手で、不安ばかりで、うまくできないことに縮こまっていた自分。
でも今は違う。
この音のほうへ、ふたりで歩いていける。
まだクラブなんてない。
まだ、何ができるかも分からない。
でも、小さな約束がひとつ生まれた。
それはきっと、あとから振り返れば、
とても大きな“はじめの一歩”だった。
P21|昨日の音は、そこにいなかった
放課後になった。
教室の時計の針が進むのを、つむぎは何度も見ていた。
授業中も、休み時間も、胸の中では朝の約束が鳴っていた。
放課後、音楽室へ行く。
もう一回、あの音に会いに行く。
「よーし、放課後!」
はやりが、机の横で勢いよく立ち上がった。
「音楽室、行こ!」
「うん……!」
つむぎはノートを胸に抱えた。
昨日の夜から何度も開いた、津軽三味線のノート。
そこに書いた文字が、今はお守りみたいに感じた。
「シャミろう」
小さく言うと、はやりがにっと笑った。
ふたりは廊下へ出た。
放課後の校舎には、授業中とは違う音があった。
帰り支度をする声。
椅子を動かす音。
どこかの教室から聞こえる笑い声。
窓から入る光は、朝より少しやわらかくなっていた。
音楽室は、1階の東の端にある。
つむぎとはやりは、少し早足で廊下を進んだ。
4年3組を出て、4年2組、4年1組の前を通り過ぎる。
その先に、音楽室の入口が見えてきた。
「ここだよね?」
はやりが、扉の上を見上げた。
入口の左上には、「音楽室」のプレート。
その横には掲示板。
さらに先には階段。
「うん」
つむぎはうなずいた。
「昨日、ここで……」
言いかけた瞬間、耳の奥によみがえった。
ばちが胴に触れた感触。
白い胴から立ち上がった音。
胸の中まで届いた、あの一音。
あの音が鳴った。
つむぎは、少しだけ息を吸って、音楽室の中をのぞいた。
けれど――。
「あれ……?」
はやりの声が、先に落ちた。
音楽室は、静かだった。
黒板。
講師台。
オルガン。
ベートーベンの肖像画。
小学校の机と椅子。
北側の窓から入る、午後の光。
昨日と同じ音楽室のはずだった。
でも、昨日と同じではなかった。
三味線がない。
外部講師の先生もいない。
体験していた子たちのざわめきもない。
「三味線……」
つむぎは、昨日三味線があった場所を見つめた。
「ない……」
胸の中で鳴っていた音が、急に遠くなった気がした。
そのとき、廊下の向こうから声がした。
「つむぎさん? はやりさん?」
丹仁野先生だった。
先生はふたりの顔を見て、すぐに何かを察したように、やさしく目を細めた。
「音楽室に来たのね」
つむぎは、うなずいた。
「先生……三味線の授業は……?」
丹仁野先生は、少しだけ間を置いた。
その間が、つむぎにはとても長く感じた。
「昨日の三味線授業はね」
先生は、ゆっくりと言った。
「外部講師の先生をお呼びした、単発の企画だったの」
「単発……?」
はやりが、ぽつりとくり返した。
「毎日ある授業じゃないのよ」
その言葉は、つむぎの胸の中に静かに落ちた。
毎日あるものではない。
いつでも会える音ではない。
昨日のあの時間は、特別だったのだ。
丹仁野先生は、さらに続けた。
「次にいつできるかも、まだ決まっていないの」
音楽室の中が、もっと静かになったように感じた。
つむぎは、ノートをぎゅっと握った。
「じゃあ……」
声が、少し震えた。
「あの音に、もう会えないの……?」
はやりも、いつもの元氣な顔ではなかった。
「そんな……」
窓からの光は、昨日と同じように床へ落ちている。
でも、そこにはもう、あの音はなかった。
つむぎは、静かな音楽室を見つめた。
胸の中では、まだ鳴っている。
でも、目の前にはない。
昨日の音は、そこにいなかった。
P22|三味線クラブを、作る?
音楽室の中は、静かだった。
昨日の音があった場所。
昨日、三味線の胴が光を受けていた場所。
昨日、つむぎの胸の奥まで届いた音が生まれた場所。
でも今、そこには何もない。
黒板も、机も、椅子も、窓から入る放課後の光も、昨日と同じはずだった。
それなのに、音楽室は別の部屋みたいに見えた。
「待ってたら……」
つむぎは、胸に抱えたノートをぎゅっと握った。
「また、できるのかな」
はやりも、いつものようにすぐには笑わなかった。
「でも……いつか分かんないんだよね……」
その言葉が、静かな音楽室に小さく沈んでいく。
丹仁野先生は、ふたりを見ていた。
つむぎがノートを抱きしめていること。
はやりが、さっきまでの元氣をなくしていること。
ふたりとも、ただ「ちょっと面白かったから来てみた」という顔ではないこと。
先生の表情が、少しだけ変わった。
「……ふたりとも」
やさしい声だった。
「昨日の音が、そんなに心に残ったのね」
つむぎは、ゆっくりうなずいた。
「はい……」
言葉は短かった。
でも、その中に昨日からの全部が入っていた。
知りたい。
また鳴らしたい。
あの音に近づきたい。
なくなってほしくない。
丹仁野先生は、少し考えた。
そして、ふたりの前で静かに言った。
「それなら……」
つむぎとはやりが顔を上げる。
「あなたたちが、三味線クラブを作ってみる?」
音楽室の空気が、ほんの少し変わった。
「え……?」
つむぎは目を丸くした。
「三味線……クラブ?」
はやりも、同じ言葉をくり返した。
三味線クラブ。
その言葉は、まだ見たことのない扉みたいだった。
「クラブって……」
つむぎは、おそるおそる聞いた。
「自分たちで作れるんですか?」
はやりの目にも、少し光が戻った。
「作れたら……毎週、シャミれるってこと!?」
丹仁野先生は、ふたりの反応を見て、やさしく微笑んだ。
けれど、すぐに首を小さく振った。
「でも、新しいクラブを作るのは、簡単なことじゃないわ」
その声は、夢をこわすためのものではなかった。
夢を本当に始めるために、必要なことを伝える声だった。
「楽器をどうするか。練習場所をどうするか。仲間を集められるか」
つむぎとはやりは、黙って聞いた。
そうだ。
ただ「やりたい」と言うだけでは、クラブにはならない。
三味線はどこから来るのか。
誰が教えてくれるのか。
どこで練習するのか。
何人集まればいいのか。
考えなければいけないことが、急に目の前に並んだ。
丹仁野先生は、ふたりをまっすぐ見た。
「学校にも、ちゃんと相談しないといけない」
つむぎは、ノートを握る手に力を入れた。
少し前まで、あの音にもう会えないかもしれないと思っていた。
でも今、別の道が目の前に出てきた。
難しい道。
すぐには進めないかもしれない道。
それでも、道だった。
「それでも、本気でやってみたいなら――」
丹仁野先生の声が、静かな音楽室に落ちる。
「先生も、できる限り協力するわ」
つむぎは、息をのんだ。
三味線クラブ。
自分たちで、作る……?
昨日まで、そんなことは考えたこともなかった。
音楽が苦手で、できないことがこわくて、いつも少し後ろに下がっていた自分が。
三味線クラブを、作る。
その言葉は大きすぎて、まだ胸の中にうまく収まらなかった。
でも、確かに、心の奥で何かが動いた。
あの音に、もう一度会うための道があるかもしれない。
つむぎは、静かな音楽室の光の中で、ノートを抱きしめた。
P23|作りたい
三味線クラブ。
その言葉は、まだつむぎの胸の中で大きすぎた。
音楽室の中には、静かな放課後の光が差している。
昨日、あの音が生まれた場所。
でも今日は、その音の代わりに、別の何かが胸の中で鳴っていた。
希望と、不安だった。
つむぎはノートをぎゅっと抱えた。
作れたら、うれしい。
もう一回、あの音に会えるかもしれない。
待っているだけじゃなくて、自分たちから近づいていけるかもしれない。
でも――。
わたしに、できるのかな。
その思いが、喉の奥で引っかかった。
「わたしに……できるのかな」
気づくと、つむぎは声に出していた。
「クラブなんて、作れるのかな……」
はやりが、つむぎの顔を見た。
その目には、からかいも、無責任な明るさもなかった。
「できるか分かんないなら!」
はやりは、ぱっと言った。
「やってみてから考えようよ!」
つむぎは思わず顔を上げた。
「え……」
はやりは、ちょっと胸を張るみたいに続けた。
「だって、つむぎ、もうシャミってるじゃん!」
その言葉に、つむぎの目が少し丸くなる。
「昨日からずっと、あの音のこと考えてるんでしょ?」
はやりは、まっすぐ言った。
「しかも、ひとりじゃないし!」
つむぎの胸の奥が、少しあたたかくなった。
ひとりじゃない。
そうだ。
昨日の音を知って、調べて、はやりに話して、いっしょに音楽室に来た。
もう、最初の一歩はひとりじゃなかった。
丹仁野先生も、やさしくうなずいた。
「そうね。最初から全部できなくてもいいのよ」
つむぎとはやりは、先生のほうを見る。
「できることを、一つずつ考えればいいわ」
つむぎは、自分の腕の中のノートを見た。
昨夜書いた「津軽三味線」の文字。
三本の糸の絵。
小さなメモ。
昨日までは、ただ“知りたくて書いたもの”だった。
でも今は、それが“始まり”みたいに見えた。
できることを、一つずつ。
「……そっか」
つむぎは小さくつぶやいた。
それなら。
ほんの少しだけ。
できる気がした。
でも、それでもまだ、最後のひとことは簡単ではなかった。
作りたい、って言ってしまっていいのかな。
ほんとうに、自分なんかが。
失敗するかもしれないのに。
つむぎは、深く息を吸った。
はやりも、丹仁野先生も、何も言わずに待ってくれている。
急かさない。
でも、ちゃんと信じて待ってくれている。
そのことが、少しだけ勇気になった。
胸の中には、昨日の一音がある。
津軽三味線という名前がある。
シャミる!という言葉がある。
もう一回、あの音に会いたい気持ちがある。
なくしたくない。
近づきたい。
知りたい。
その全部が、つむぎの中でひとつになった。
「あの音に……もう一回、会いたい」
小さくそう思ったあと、つむぎは顔を上げた。
「……作りたい」
声は、まだ小さい。
でも、ちゃんと前を向いていた。
「三味線クラブ、作りたい」
言った瞬間、胸の奥で何かが少しだけほどけた。
はやりの顔が、ぱっと明るくなる。
「うん!」
力強い返事だった。
「作ろう、つむぎ!」
丹仁野先生も、やさしくうなずいた。
「ええ。ここから始めましょう」
その言葉を聞いたとき、つむぎは思った。
はじめてだった。
“できるかな”より先に、
“やりたい”って言えたのは。
音楽が苦手で、ずっと立ち止まっていた自分が。
こわくても、分からなくても、それでも前へ進みたいと思った。
三味線クラブ。
まだ何も始まっていない。
楽器もない。
仲間も足りない。
どうすれば本当に作れるのかも分からない。
それでも、そのとき確かに、
つむぎの中で“始まり”が生まれていた。
P24|はじめの一音
「じゃあ、まずは」
丹仁野先生は、机の上をそっと指さした。
「何をすればいいか、書き出してみましょう」
つむぎは、胸に抱えていたノートを見た。
昨日の夜、夢中で書いたノート。
津軽三味線という名前。
三本の糸。
強い音。
少なくなっている人たち。
もっと知りたい気持ち。
そのノートを、つむぎはゆっくり机の上に置いた。
ページをめくる。
まだ何も書かれていない、白いページが開いた。
このノートが、はじまりになる。
「つまり――」
はやりが、ぱっと目を輝かせた。
「シャミる作戦会議だね!」
その言い方に、つむぎは少しだけ笑った。
さっきまで大きすぎて、少しこわかった「三味線クラブ」という言葉が、はやりの声で少しだけ近くなる。
丹仁野先生も、やさしく微笑んだ。
「まずは、仲間。それから、場所と楽器。学校への相談も必要ね」
つむぎは鉛筆を持った。
手が、ほんの少し震えていた。
できるかどうかは、まだ分からない。
何から始めればいいのかも、本当は分からない。
でも、書きはじめた。
ノートの一番上に、つむぎはゆっくり文字を書いた。
三味線クラブを作るためにやること。
はやりが横からのぞきこむ。
「まずは仲間を集める、でしょ?」
「丹仁野先生に相談する、も入れてね」
先生が言う。
「学校にも相談する」
つむぎは、ひとつずつ書いていった。
仲間を集める。
丹仁野先生に相談する。
学校に相談する。
練習場所を考える。
楽器をどうするか考える。
津軽三味線をもっと調べる。
もう一回、あの音を聞く。
書けば書くほど、遠くにあったものが少しずつ形になる気がした。
はやりが、ノートの端に大きな丸をつける。
「シャミろう!」
その文字の横に、つむぎは小さな三味線の絵を描いた。
三本の糸を忘れないように、ゆっくり線を引いた。
まだ、楽器はない。
まだ、仲間もいない。
まだ、クラブと呼べるものは何もない。
でも、ノートの上には、最初の道ができていた。
「なんか……ほんとに始まった感じする!」
はやりがうれしそうに言った。
「うん……」
つむぎはノートを見つめた。
昨日までは、ただの一音だった。
音楽室で、たまたま出会った音。
自分の手で、たった一度だけ鳴らせた音。
胸の奥に残って、どうしても忘れられなくなった音。
でも今日、その音は、つむぎたちを動かした。
家で調べた。
はやりに話した。
シャミる!という言葉が生まれた。
音楽室へ行った。
現実を知った。
それでも、作りたいと言えた。
つむぎはノートを閉じずに、もう一度ページを見た。
シャミる!作戦ノート。
その文字は、少し照れくさくて、少し頼りなくて、でも不思議なくらい力を持っていた。
「明日から、忙しくなるね!」
音楽室を出るとき、はやりが言った。
廊下には放課後の光が伸びていた。
入口の上には「音楽室」のプレート。
掲示板の向こうには、階段がある。
昨日も、今日も、同じ学校の同じ廊下。
でも、つむぎには少し違って見えた。
「うん」
つむぎはノートを胸に抱えた。
「シャミろう」
はやりが、にっと笑う。
丹仁野先生は、音楽室の入口でふたりを見送っていた。
その小さな音が、いつか世界に響くなんて。
あの時のわたしたちは、まだ知らなかった。
けれど、たしかに始まっていた。
うちの学校に、三味線クラブが出来るまで。
その最初の一音が。









